スラムダンクの山王工業と言えば、原作では最強の高校であり、そのメンバーはそれぞれが最強山王にふさわしいメンバーでもあります。
今回はあの山王工業のメンバー達が、その後どんな人生を送ったのだろうと、勝手に考えてみました。
山王工業 野辺将広(30年後)
山王工業卒業後
野辺は
Bリーグに挑戦するも
監督の交代や
スポンサーの撤退など
所属チームでの不運も続き
野辺自身のプレイスタイルは活かせず
思ったような活躍ができないまま
数年後にはプロバスケット界から去ることになる・・・
そこからの行方はわからない…
がしかし
近年ある所で
彼の噂を耳にする。
山王工業 深津一成(30年後)
深津一成
山王工業卒業後
宇都宮ブレックスでプレイするも
彼がBリーグで活躍した期間はわずか5年…
彼は亡くなった
父親の跡を継ぐために
実家に戻る。
深津の実家は
地元では有名なお寺の
一人息子だった。
ファンに惜しまれながらの引退。
それから実家に戻った深津は
父の跡を継ぎ
住職の道を歩む
引退から20余年…
実は深津はずっと趣味でバスケを続けていた
彼はお寺の境内にバスケのコートをつくり
お寺に訪れるバスケ自慢達と
3on3で相手をしている
しかしその僧侶チームの
あまりの強さに
噂は次第にひろまっていく。
その噂とは…
住職の深津は
最強世代の山王の元主将であり
元プロのバスケットプレイヤーでもある。
その実力と動じない心・体幹から
「鋼」(はがね)
彼はそう呼ばれていた。
そして深津寺チームのもう2人。
ひとりは2メートル近い大男の和尚で
その巨漢とビクともしないポジショニングから
「鉄柱」(テッチュウ)と呼ばれる男。
もう一人の和尚は
無尽蔵のスタミナと決して離さない
スッポンのような鉄壁のディフェンスから
「鉄亀」(テツガメ)と呼ばれ。
3人の住職の名は
この界隈で知らぬものはいない程有名になり
心・技・体そろった彼等は
「鋼鉄の三和尚」と呼ばれるようになっていた。
しかも3人とも
齢は40も後半でありながら
連日挑んでくる10代20代のバスケ自慢達を
次々と返り討ちにしており
その姿は
「錆びる事ない鋼鉄」とも言われ
巷では伝説化しているようだ・・・
山王工業 松本稔(30年後)
山王工業卒業から30年
松本は
シーホース三河
川崎ブレイブサンダース
千葉ジェッツふなばし
アルバルク東京
秋田ノーザンハピネッツ
現役時代に5つのチームを渡り歩いた。
そして
全てのチームでエースとして活躍し、まさに沢北がいなければ
どこでもエースを張れることを実証してみせた。
30年後の現在は
秋田ノーザンハピネッツのヘッドコーチとして
日本Bリーグ界を牽引している。
山王工業 河田美紀男(30年後)
山王工業卒業後
総合格闘技の
ある団体からオファーを受け
はじめて偉大な兄と別のルートを歩く事を決意。
自分の意思で格闘技の世界に飛び込む。
それは軽い気持ちではなかった
新しい自分をみつけるために
それこそ死ぬ気で打ち込んだ。
現役時代は話題にもなり
実力もついたが
度重なる膝の故障で
格闘家としては長く続かなかった…
引退後は東京の両国で
「ちゃんこ屋さん」を経営
これが何と評判は上々。
しかし兄は問う。
なぜちゃんこ・・・
山王工業 河田雅史(30年後)
河田雅史
山王工業卒業から30年
BリーグからNBAと
日米通算18年もの間
現役で一流と言える活躍をする。
そして37歳の時に
バスケ界レジェンドの一人と言われながら引退。
そして現在
48歳の若さで
NBAチーム
ヒューストン・ロケッツの監督を務めている
日本人としては勿論初となる。
河田のその近代的なバスケ理論と
リーダーシップは
30年後
世界レベルになっていた。
山王工業 沢北栄治(30年後)
沢北栄治
あの渡米から20年…
沢北栄治はNBAで大活躍を収めた
しかし引退後は
監督やコーチなど指導者になることはなかったが
引退後もそのままアメリカで生活する。
カリフォルニアの広い土地に
それほど大きくない家を建てる
庭のバスケットコートで息子と1on1をするために。
そしてその光景を見守るのは
祖父のテツ沢北こと哲治。
そしてさらに10年後…
その年のドラフトでヒューストンロケッツが
一位指名したのは沢北…
今年
沢北栄治の息子が
NBAの舞台に立つ。
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