歴史好きの方なら
この妄想は一度はしたことあるのではないでしょうか。
織田信長が暗殺された
あの「本能寺の変」
もしこの事件が起こらなかったら・・
織田信長が生き延びていたら・・
今回はそんな歴史の「もし・・」
という妄想にできましたらちょっとだけ
お付き合い下さいませ。
「織田信長」
降り注ぐ朝日が、室町時代の終焉と戦国時代の夜明けを告げる。
この時代の舞台に立つ男がいる。
その男の名は
織田信長。
彼はただの戦国大名ではなく
世界を揺るがす一大旋風を巻き起こした男。
日本歴史上最大の群雄割拠時代
彼は戦国時代の混沌とした世界を
その全てを手中に収めようとしました。
ただその目前・・
彼の生涯は突如終わりを迎えます。
天下統一への道を進む中
1582年京都本能寺で・・・
「本能寺の変」
ある日、天空には暗雲が立ち込め、雷鳴が轟いた。
それはまるで天が何かを予感させるかのようだった。
1582年その年、信長の人生の舞台は突如として幕を閉じました。
その舞台の幕引きとなったのが
歴史に名高い「本能寺の変」でした。
信長は、この年の夏
本能寺に滞在していました。
彼は天下統一への大きな一歩となる信州征伐を成功させ
一息つくべく京都の本能寺に身を寄せます。
しかし、その身辺は意外にもあまりにも無防備で
彼を取り巻く状況は不穏な空気に包まれていました。
その頃、彼の家臣である明智光秀は
信長からの過酷な扱いに不満を抱いていました。
彼の心中には、信長への反逆の思いが芽生え始めており
そしてついに、その思いは行動へと変わります。
彼は一大軍勢を動かし
信長が滞在する本能寺へ向かったのです。
本能寺の変は、その名の通り
京都の本能寺で起こりました。
信長とその長男・信忠は
明智光秀のこの襲撃によって命を落とします。
この出来事はまさに時代の大転換点とも言えるでしょう。
信長の死により、天下統一の道筋は一変し
新たな混沌の時代が始まりました。
しかし、この事件がなぜ起こったのかについては
今もなお多くの謎が残されています。
光秀が信長に反逆した理由
そしてその背後に何があったのかは
多くの研究者や歴史愛好家が追求し続けている課題です。
本能寺の変後、信長の死を受けて
その家臣たちは混乱に陥りました。
織田家の重鎮である羽柴秀吉は
中国地方の播磨で毛利氏と戦っていましたが
信長の死を知るとすぐに講和を申し入れ
急いで京都に戻りました。
彼の行動力と戦略的な視野は
信長亡き後の混乱を収束させ
天下統一を果たすきっかけを作り出します。
一方、明智光秀は信長の死後
速やかに新たな政権を樹立しようと試みましたが
彼の野望は秀吉によって阻止されました。
光秀は秀吉に敗れ
その生涯を閉じることに・・・
ここで我々が問うべきは、本能寺の変がなければ
日本の歴史はどのように変わったか、ということです。
信長が生きていれば彼の野望
すなわち天下統一は実現していたのでしょうか。
また、その結果として生まれるであろう新しい世界は
どのようなものだったのでしょうか。
では「もし信長が生きていたら」という仮説のもと
歴史の可能性について考えてみましょう。
「信長が本能寺の変をまぬがれたとしたら・・」
織田信長が本能寺の変を生き延びたと仮定すると
日本の歴史はどのように展開したのでしょうか。
これは私たちの想像力を
とてもとても刺激する問いです。
「織田幕府の成立と存続」
信長が生きていた場合
織田幕府が成立していた可能性があります。
しかし、その存続期間は短かったのではないでしょうか。
信長のカリスマ性や絶対的な権力を継承する者がいなかったため
彼の死後すぐに織田幕府は崩壊したのではと考えます。
それは信長が生きている間に
彼の後継者を育てる時間が十分になかった可能性があるからです。
本能寺の変の時すでに信長は49歳でした。
信長のような強大なリーダーの下では一族の後継者はその影に隠れ
十分な経験を積む機会がなかったかもしれません。
その分信長の家臣たちは
非常に優秀であり、且つ野望高い人物も多くいました。
家康や秀吉もしかりです。
ただ信長の存命期間にもよりますが
家康などは信長に追放もしくは
暗殺されていた可能性も少なくないと考えます。
だとすれば織田幕府が終っても
徳川の世が来ることはなかったと思います。
「朝鮮出兵」
信長が生きていたならば
豊臣秀吉のように朝鮮出兵を行った可能性があります。
しかしここで大切なのは
信長がどのような戦略を立てていたかという点です。
信長の経済的視点と戦略的な思考からすると
彼は単なる領土拡張よりも
朝鮮と中国との交易を通じた経済的な利益を追求したのではないでしょうか。
彼の野望は日本を
東アジアの経済的な中心地にすることだったかもしれません。
そのための手段として、彼は朝鮮半島を拠点として
中国との交易を強化する道を選んだかもしれません。
しかしもしかしたら外国勢力との接触が増えることで
日本が外国の影響下に置かれる可能性
さらには国内に抵抗勢力が生まれる可能性もあったでしょう。
そしてもし現代までその影響を引きずれば
かなり違った形の日本になっていたかもしれません。
「キリスト教の普及」
信長がキリスト教を受け入れ
それを日本全国に広める可能性がありました。
彼の寛容な宗教政策は
日本のキリスト教徒の数を急速に増やし
日本の文化に大きな影響を与えたでしょう。
それは日本の芸術、音楽、文学に新たな影響を与え
日本の文化を豊かにしたかもしれません。
それは仏教が伝わったときと同様に
キリスト教の教義や価値観が日本の思想や芸術に融け込むことで
新たな文化が生まれるかもしれません。
さらに信長がキリスト教を保護したことで
欧州との交流が深まり、科学や技術の面でも大きな進歩が見られたかもしれません。
「 対外政策」
信長が長きにわたり日本を統治していた場合
彼の対外政策も大きな影響を及ぼしたでしょう。
信長は海外との交流を重視し
特に南蛮貿易には積極的でした。
信長が存命であれば、南蛮貿易はさらに拡大し
日本の経済力を一層強化するとともに
西洋の技術や文化が日本全土に広まったかもしれません。
その結果、西洋の科学技術が日本にもたらされ
日本の産業革命が早まった可能性もあります。
まとめ
ちょっと大胆すぎると感じるかもしれませんね。
しかし信長が死ななかった世界は
私達が知る現代とは全く異なる可能性があります。
信長の独裁的な統治、彼の野望と冒険心
そして彼が抱いていたかもしれない日本の未来への展望は、
私達が予想もしない結果をもたらしたかもしれません。
ただ信長一人がいなかった所で
さほど歴史は動かないという意見も多くあります。
しかし、この種の歴史的な「もしも」の探求は、私たちに過去と現在、
そして可能性について深く考える機会を与え
想像するだけでわくわくしますね。
今回は
「もしも本能寺の変がおこらなかったら」
を考えてみました。
最後までご覧頂きありがとうございました。
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